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JAPAN PETANQUE BOULES FEDERATION

ペタンクの概要・歴史HISTORY

ペタンク100年 副島映一

 (1) 2007年は、ペタンク100年として、フランスでは各地で記念行事が催された。と聞けば、まてよ、マルセイユ近郊のラシオタ(La Ciotat)でペタンクが始まったのは1910年では?と思われる方も多いと思う。ラシオタを訪れ「ペタンクは1910年にこの球技場で始まった」と書かれたプレートの前で写真に納まった方もおられるはずだ。
(2) ラシオタ市役所のサイトには、次のようなことが書いてある。「1907年、ラシオタのベロー球技場では、毎日のように人々がプロヴァンサルに熱中していた。その中にリューマチで体が利かなくなったかつてのプロヴァンサルの名手ジュール・ルノワールが一人で、足を踏み出さずに短い距離でボールを投げている姿があった。それを目にした友人たちが、地面に円を描きその中に立って両足を地面に着けたままで投げることにして、ジュールを交えて試合をすることにした。この両足を地面に着けたまま(ペタンク)という球技は、やがてルールなどの体裁も整えられて、マルセイユ一円に急速に広まり、1910年、その同じ球技場で最初の競技会が開かれるまでになった。」
(3) フランス連盟(F.F.P.J.P.)のサイトには、ペタンクは1907年に最も大きな偶然と最も美しい友情によって生まれたとあり、マルチーヌ・ピラトという人の次のようなコラムが載っている。「ものごとは、ひょんなことから始まるものだ。プロヴァンサルの見物人に有料で貸し出される腰掛が廃止された後も例外的に腰掛をあてがわれていたジュール・ルノワールが、よほどプレーがしたいのか腰掛けたままでボールを投げていた。これを見た私の祖父が、《君は腰掛けたままで投げる、ほかの者は君の腰掛のそばに円を描いてそこから両足を地面に着けたままで投げる、距離は3メートル、それで試合をやろうじゃないか》と提案した。こうしてペタンクが生まれた。」 後述(10)のようにマルチーヌ・ピラトはこれを1910年の出来事として自著に書いている。
 なお、同サイトにはラシオタにあるプレートの写真が載っているが、それには「ジュール・ルノワールとその友人たちが、1910年の春この球技場でピエタンケを創始した、これがペタンクになった、1996.6.22ラシオタ市長」と書かれている。
(4) 1963年刊、Andre Fernez著 La Petanqueには次のようにある。「ラシオタで1910年のある日、かつてのプロヴァンサルの名手ジュール・ルノワールが一人で、2〜3メートル先のビュットに向けポワンテやティールをして遊んでいた。これをエルネスト・ピチオが見て仲間を呼び、ジュールがやっていたやり方で一緒に試合を始めた。翌日も翌々日もこのやり方でやっていると、年寄りたちがこれはいいと集まってきた。エルネストの兄のジョゼフが賞金10フランを出して競技会を開いたのはそれから間もなくだった。これがペタンクの始まりだ。」
(5) 1976年刊、Christian Marty 著 Petanqueでは、次のように書かれている。「プロヴァンサルの名人だった兄弟のうち兄が体が利かなくなって車椅子生活になったのを慰めるため、弟が短い距離で両足を地面に着けたままで投げるやり方を思いつき兄と遊び始めたのがペタンクの始まり。」
(6) 1984年刊、Marco Foyot, Alain Dupuy, Louis Dalmas共著 Petanque
「1907年になってはじめて勢いをつけないで定位置から投げるペタンクが誕生した。始めたのは、プロヴァンサルの名人兄弟の弟説とジュール・ルノワール説の二つがあるがいずれかはっきりしない。」としている。
(7) 1996年刊、Claude Azema 著 Passion---Petanque このマンガ仕立ての本には、(4)のエピソードとおなじことが1907年の出来事として書かれている。
(8) 1998年、ラシオタのベロー球技場がジュール・ルノワール球技場と改名され、新たに次のようなプレートが掲げられた。「ジュール・ルノワール球技場。ペタンク発祥の地。ジュール・ルノワールを讃える。彼は、1910年6月この球技場でペタンクを創始した。1999年2月6日ラシオタ市長ロジー・サンナ」  (9)の本から引用。
(9) 2002年オランダ刊、Henk & Anne Martine Reesink著 Jeu de Boules
この本は、資料の豊富さでフランス人を驚かせ、すぐにフランス語訳が出た。この中に諸説紹介されているが、中でもジャコモニという人の説が面白い。「1910年にラシオタで始まったというのはうそだ。歴史は、よく友情だなどと美化してしまう。実際は、1900年の暑いさなかにラシオタの17q東にあるバンドール(Bandol)でプロヴァンサルの試合に出ていたピノたちが早々に負けてしまい、昼食にでかけた。しこたま飲んだぺルノーと暑さのせいでピノがふと、円の中から足を踏み出さないで短い距離でやってみようぜ、と言ってやってみたのがペタンクの始まりだ。」
(10) 2005年刊、Martine Pilate 著 La Veritable histoire de la Petanque
著者は、(3)のコラムの筆者で、(4)に出てくるエルネスト・ピチオの兄ジョゼフの孫娘にあたる。(3)のコラムの祖父の出来事はあくまで1910年のこととしている。
(11) 2007年刊、Alain Gex著 1907 apres Jesus-Christ, La Petanque
「今となっては1907年か1910年かはっきりしないが、どちらでもいい。2007年から2010年まで毎年ペタンク100年として大いに祝えばいい。」
(12) 要するに真相ははっきりしないようだ。1907年説が現れたのは1984年頃からで、とくに1996年刊の(7)の本が1907年ルノワール説を打ち出したのが注目される。著者のクロード・アゼマはフランス連盟、国際連盟の事務局長で1997年からは会長を務めているから、その流れで連盟は2007年を100年記念の年としたと思われる。それにしても、ラシオタ市役所が、1910年のプレートを作りながら、サイトでは1907年の出来事としているのは、どういうことだろうか。

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